
4年1度開催される中国ナショナルゲームズが終了しました。
この大会でメダルを取るために上海市と3年間のコーチ契約を結び選手を指導してきました。
契約当初はまだコロナ過で自由に行き来できなかったので実際には2年7か月。

結果は誰もファイナルに送り込めませんでした。
惨敗です。
コーチの評価は結果が全です。
ただ少しだけ言い訳をすれば、
初めて会った選手を3年後にメダルをと言われても、
彼らのレベルも何もわからない状態からのスタートだったので正直難しかったです。


それと、当初は「あなたの望むようなトレーニングができます」と言われていたが、
実際には規制や規律が厳しく非常に自由度がなかったです。
その状況は各省によって大分違いますが、
上海チームは例えるなら軍隊のようなチームだったので、
自分の理想とするトレーニングは半分程度位しかできなかったです。


でも、この選手達と過ごした2年半は自分にとってもすごく充実した日々を送らせてもらいました。
ほんと思い返せば色々なことがありました。

ありがとう!


ここからは少し泥臭い話になりますが本当にこの大会は凄かったです。
例えるならオリンピック。
中国各省がどれだけメダルを取れるかを威厳と名誉をかけて競い合う。
実際自分達のチームもたった4人の選手をこの大会に送り出すために、
10数名のスタッフが関わり年間約1億円の予算を投じて選手を育成してきた。
勿論自分もがっつり報酬としてその恩恵を受けさしてもらいましたが。
とにかく半端ない。

海外での長期にわたるコーチ契約は自分がおそらく日本のクライミング界では初めての経験者だと思います。
実際50歳を超えて単身異国の地で新たな挑戦をすることは正直不安がありましたが、
自分は常に新たな道を切り開いていきたいと思っているので、
結果は残念でしたがまだまだ自分は挑戦できると自信がつきました。
是非私に続く若い世代の指導者が世界に羽ばたいてほしいと願っています。
その道筋を示せたのを誇りに思っています。

ここからはこの大会とは関係ない話です。
この会場に来てなんだか見覚えのある雰囲気を感じていました。
で、途中で気づいたんですが、
15年前位にアジア大会が開催された時にセッターとしてこの会場に来ていたことが判明。
写真の右側の幕がしてある壁でセットしてました!
壁も大幅にリニューアルされてるんで最初は全く気付かなかったです。
当時の大会セットはどこに行くかも知らされないまま連れてかれるので場所とか覚えてないんですよね。




久しぶりに訪れた広州。
ずいぶん上海とは違いました。
シンタが常駐している民間ジムも中々良かった。
スッポン料理をスタッフに奢ってあげたり、、、。
中国の次期クライミング界のスター、リーメイニー家族にもお世話になりました。
この先中国通信続くか?
