木村伸介 KIMURA SHINSUKE
世界40カ国以上の地域でクライミングを行い、国内外で150本以上のルート開拓を行う。1995年にはフランスで5.14AをRP.オンサイト5.13C。競技では1993年第1回アジア選手権で日本人最高位となる3位入賞。4度のワールドカップの出場経験をもつ。
5.10、プラナ、アークテリクス、カンプ等の輸入販売を経て、1993‐2019年までクライミングジムPUMP の創設から携わり、クライミングジム文化の基礎を築き上げる。ジム運営の日本第一人者。
2001年に国際ルートセッターの資格を取得し20大会以上の国際大会でチーフルートセッターを務める。特にリード競技のセット評価が高い。国内でもJFAジャパンツアー、日本選手権、国民体育大会など公式大会のセット回数は50回以上に及び、現在は国内で活躍している多くのセッター育成も行う。
選手指導に於いても、日本スポーツ協会上級コーチ資格を取得し、2009-2017年まで日本山岳スポーツクライミング協会のユース及びリード日本代表チームのヘッドコーチを歴任。現在は日本の競技力向上の為に選手指導や指導者へ普及活動を行う。
木村 理恵 KIMURA RIE
1993年ジャパンツアー山形大会で初優勝。1995年に1年間の世界1周クライミングツアーを行う。帰国後、1996‐1999年JFAジャパンツアー4年連続年間優勝。1997年にはアジア選手権でも優勝。
2000年、31歳からプロクライマーとして4年間ワールドカップに日本人女子として初めて本格的に参戦する。当時、協会のサポートがない時代に自費で大会を転戦。2001年には世界選手権スイス大会で日本人初となる決勝進出。翌2002年にはWCオーストリア大会で8位を獲得し、長らく予選を突破できず低迷していた日本女子選手の記録を更新し大幅にレベルを引き上げた。この時期の挑戦が、後の小林由佳、野口啓代など日本を代表する選手に引き継がれ、現在の日本人選手の活躍に繋がっている。
岩場でも2003年レットポイント8b(5.13d),オンサイト8a(5.13b)を達成し、当時の日本人女子の記録を塗り替えた。
現在は2児の母であり、ボルダリングを中心に外岩では二段を登る。
2019年よりGODHAND CLIMBING WORKSにてクライミングスクールを担当。